本邦withコロナ下における相互行為としての「ナンパ」文化の可能性
人生においてこんなにマスクを着けて過ごしたことがあっただろうか。そして、行き交う人々もほとんどがマスクを着けている。かく言う自分もマスクを着けていない人を見れば、「なぜ、着けないのだろう。」と不思議に思ってしまうほど、マスクが日常と化している。これは間違いなく、初めての経験である。「withコロナ」、「新しい生活様式」、「ソーシャルディスタンス」などなど。次々と生まれる新しい言葉も、どことなくマスクを前提としているように感じるのである。最近は少し落ち着いてきたが、ほんの数ヶ月前は、需要に対して供給が間に合っておらず、マスクの販売に行列ができ、不当に価格を上げて販売することに罰則まで設けられた。医療機関でも不足してしまうほど、足りていなかったのである。この短期間で「マスク」はその存在感や価値等の社会的認識が劇的に変化した物の一つではないだろうか。
では、「マスク」着用が常態化した場合、社会にどのような影響が起こるのか考えてみたい。多くの場面で、多様な反応が予想されるが、本論では、大きく影響を受けるであろう「ナンパ」と呼ばれる我が国の文化を取り上げる。たかが「ナンパ」、されど「ナンパ」。漢字で書けば「軟派」であるが、ここで扱う「軟派」は、『日本国語大辞典 第二版』掲載の④番目の意味である「(ーする) 転じて、俗に、街頭で声をかけて異性をさそうこと。」を対象とする。加えて、異性間でも特に女性から男性をさそうことを「逆ナン」と言うこともあるが、これも当然、異性へのアプローチということで対象に含まれており、以下では両者を合わせて「ナンパ」という表現に統一する。
初めに断っておくが、自分自身はどちらかというとオクテであり「ナンパ」という行為をほとんどしたことがなく、実際にwithコロナ前の状況を知っているわけでなく、withコロナ後の世界における変化を体験したわけでもない。よって想像の域を脱することができないが、一般的に考えて、人々の往来する市井での初対面におけるコミュニケーションであり、コロナ禍における緊急事態宣言、外出自粛要請などの影響は甚だしいはずであり、通常よりは頻度が少なくなることは間違いないと思う。さらに、「ナンパ」以外も含めた種々のコミュニケーションにおいてもお互いにウイルス感染を気にしながらの相互行為となるため、必要最低限の外出、ソーシャルディスタンスなどを前提とすれば、外出者の減少、初対面者との接触は必然的に避けられることになり、環境的にも「ナンパ」にとっては悪条件となっている。
それに加えて、マスクの装着である。「ナンパ」の性質上、行為の動機となる要因は視覚情報がほとんどであると考えられる。さらに言えば、する方・される方いずれも判断は、顔面の情報によるところがどうしても大きくなるはずである。マスクを正しく装着していた場合、目元から額にかけての部分のみの情報となり、特に重要視される顔面全体の50〜60%の情報量しかないのである。この情報の少なさは、する方・される方、男性・女性ともにどちらの立場であっても、マスクのない状態からすれば、かなりのリスクを有しており、熟練者においても躊躇いがあるのではないだろうか。
「ナンパ」という行為はこのまま廃れていくのであろうか。確かに外出自粛要請など強い働きかけのある場合は、控えるべき行為であるかもしれない。他方、緊急事態宣言解除後の社会や、今後の感染数に消長がある中で幾ばくか緩和されている状態において、新しい生活様式の中で、一つの男女の出会いの形として、旧来からの様態で存在することも難しいのであろうか。上述したような状況を当事者達がどのように捉えるかも重要な要素であるが、少なくとも「ナンパ」という行為は、もともと自分の求める相手(相性としても)であるかどうかは偶然性があるものである。視覚情報が好意的であっても、時間の経過とともに仲が不和になることも十分あり得るのである。そういった意味では、withコロナ下では不確定要素がさらに強くなるだけである。ここで少し、プラスに考えてみよう。不確定要素の多い状況で行われる「ナンパ」は、通常であれば最初から声をかけない相手(承諾しない相手)に対しても視覚情報が少ないために声をかける(承諾する)かもしれない状況にあるということである。このことは、withコロナ以前の世界では、あり得なかったマッチングが成立するかもしれない可能性を秘めているのである。
「ナンパ」にとって多くのハードルを抱えたwithコロナの世界。一定の成果がある男女の出会う方法と考えた場合、その行為の社会的な喪失は、「ナンパ」以降に発展するであろう人生のイベントの喪失に繋がる。その結果は、生涯未婚率や出生率、初婚年齢など様々な人口問題に影響を与えるのではないだろうか。たかが「ナンパ」、されど「ナンパ」。withコロナ下で受容されるのか、はたまた拒絶されるのか。さすがに政府が言及することはないと思うが、父親目線であれば、「悪いウィルス」対策を徹底すれば、「悪い虫」対策もできちゃうような話。さてさて、今後の我が国ではどのような空気が醸成されるのであろうか。
【参考】
日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部 2001 『日本国語大辞典 第二版』小学館