誰かの『モナリザ』
唐突だが、有名な「娘」と言えば誰だろうか。ここで言う「娘」は英語で言う「daughter」であり、「子女」としての「娘」である。「かしまし娘」や「モーニング娘。」などは対象外だ。あの有名な田中角栄の娘としての「眞紀子」女史であろうか。自身も政治家で大臣も務めており、非常に有名である。はたまた『更科日記』の著者である「菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)」もいる。教科書に載っており、受験生は名前を頭に叩き込む。芸能界にもスポーツ界にも2世としての「娘」はたくさんいる。そもそも女性は例外なく、誰かの「娘」である。ただ、「娘」として世の中に認知されるためには、その親が有名でなければならない。当人の能力により、有名になった場合は誰々の「娘」ではなく、本人の名前(もしくは芸名)で認知されることになり、反対に親が誰々の「父・母」と認識される。これは何も「娘」に限定される話ではなく、「息子」であっても同様である。
では、本題。「aisha」が誰の娘かご存知だろうか。洋楽に詳しい人はピンとくるかもしれない。そう、「aisha」の父は、あのスティービーワンダーである。「aisha」が特別有名なわけではないが、彼女の誕生に際して作曲された『isn’t she lovely』(邦題:可愛いアイシャ)には、その名前が歌詞中にはっきりと歌われている。有名な曲なので再生された回数は限りなく、ほとんどの人が耳にしたことがあるのではないだろうか。
盲目のシンガー、スティービーワンダー。その彼に「可愛くないわけがない。」と歌われた娘の「aisha 」。その歌詞に父となった男性は我が子の姿を投影することができ、激しく共感するのである。子どもが男の子でも「isn’t he lovely」として、聴けば同じこと。とにかく子どもの誕生は「可愛くないわけがない。」のであるが、多くの「娘(息子)」にとって、自身の誕生時の父親の感情などほぼ聞く機会がない。実際に父によって名前が歌われ、惜しげもなく祝福されながら世界中にその名が知れ渡るというのは、「娘」にとってどういった感情なのであろうか。
長い人生の中で、父が名前を歌ったというその事実は如何様にも作用することがあると思うが、刹那的な場面としてその感情を垣間見ることができる映像が残っている。【参考】に挙げた映像であるが、スティービーワンダーのライブにおいて、バックコーラスとして参加する「aisha 」。そこで歌われる『isn’t she lovely』。スティービーワンダー寄りの感情なのか、「aisha 」寄りの感情なのかわからないが、一聴衆として、鳥肌ものの場面である。感情にブレがなく、淡々と歌い上げる父と、少し照れながら表情に笑みが浮かべる成人しているであろう「娘」。聴衆は父子の感情を媒介するための証人であると同時に、その感情に共鳴し増大させる役割を担っているのではないだろうか。
「aisha 」の人生がどういったものであるのかわからず、結婚しているかどうかもわからないが、もし、人生の伴侶として選んだ相手が父に挨拶に行くような場面になった場合、その相手にとって相当ハードルが高いかもしれない。「Truly the angels best」、「本当に最高の天使」なのだから。
「お前は俺の『isn’t she lovely』って曲を聴いたことあるのか?」
と問われたら、相手は答えに窮するだろう。「知りません。」は、論外だが、「知っております。」と答えたとしても「知っていながらお前はルーヴル美術館から『モナリザ』を盗むかのような阿漕なまねができるのか。」と返ってくるかもしれない。
歌うほど明確に「娘(息子)」への感情を表現するような父親は少ないと思うが、スティービーワンダーに限らず、ほとんどの父親は「可愛くないわけがない。」と思っているはずである。しかし、普く「天使たち」とその父親の間における確執の話は枚挙に暇がない。父として、たまに「天使たち」から理不尽な仕打ちを受けて戸惑う中で、「初心忘れるべからず」と『isn’t she lovely』を胸に刻み、誰かに盗まれるまでの間『モナリザ』のいる充実した生活を過ごしていきたい今日この頃である。