自粛の夏、酷暑の夏。ポケカ始めました。

ポケモンカード。知らない間にカードゲームまでできていた。僕の時代は151匹。バグでミュウを手に入れ、エスパー系が異様に強いそんなイメージだ。あれから20年以上の時が経った。我が子が最近、ポケモンカードゲームを始めた。略して「ポケカ」。まさかテレビゲームからではなく、カードゲームからポケモンが始まるとは。よくわからないが、カードが必要ということで、メルカリにて数百円でたくさんセットになっているカードを購入。やってみるがいまいち面白味に欠ける。的を得ない子どもの説明からインターネットでの検索を経て、カードの種類が足りないことを知り、再度、メルカリ。こんなことを繰り返しながら1,500円ほど投入して、家でのプレイが可能に。ケチらずにスタートデッキを買った方が良かったのかもしれないが、何とか様になっている。数百枚のカードから、子どもが自分の必要なカードでデッキ(自分が使用するためにチョイスした60枚のカード)を作り、パパは残りのカードでデッキを作る。プレイを始めると、どんどん面白くなっていく。そして、たくさん考える機会がある。デッキを作るために考える。手札を見て考える。カードの順番を考える。とにかく、頭を使う楽しいゲームだ。そして、知らないポケモンがいっぱいのアラフォー。衰える記憶力を駆使して知らないポケモンの進化を覚える。まっ、所詮は精鋭と余り物。勝負はほとんどパパの負けであるが、たまに余り物の逆襲が起こるところがゲームの面白いところ。少しずつわかってくると、欲しくなるのが、新しいカード。向かう先はブックオフ。1枚30円のカードの束を飽きずに眺め、選りすぐりの10枚を購入。10枚買うと200円になるというサプライズ。準備を整え、新たな闘いが始まる…。

机の上、畳の上、フローリングの上、布団の上。場所を変えての連続バトル。冷房の効いた部屋での白熱の闘い。そして、たし算、ひき算、かけ算、カードの音読。低学年にとっては、覚えたての学習との闘いでもある。間違えば、負けに近づく。ズルい大人は不利な間違いは指摘し、有利な間違いにはほくそ笑む。世知辛い世の中を知るための教材としても機能しているのだ。カードを重ねポケモンを進化させながら、成功と失敗を重ねて自らを進化させる低学年。一方で、齢を重ねたためポケモンの区別がつきにくく、手札の進化が遅れるアラフォー男子。対面する個性に折り重なる無二のドラマがそこにある。

さあ、今日もポケカしよう。カードの準備は「でんこうせっか」、「ドわすれ」するのはお片付け、刺さる視線は「りゅうのいかり」。

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