最後の晩餐でよろしいでしょうか 〜サラダうどん一つください。〜

大好きな美味しいものをたくさん食べたい。人間として誰もが抱くシンプルな欲求である。少し前にボーッと見ていたテレビに「最後の晩餐で食べたいもの」でピザが1位となったという内容が放送されていた。どんな番組だったか忘れてしまい、どんな調査方法で、誰を対象とし、何人の回答があり…等の情報はなかったため、どの程度の信憑性があるかわからないが、とにかくピザが1位であったということが、世界的な常識であるかのように語られていた。ピザ…。確かに捨てがたい選択肢ではある。ピザも食べたい。しかし、僕の中では残念ながら1位ではない。1位はもっと他に存在するのである。

「最後の晩餐」。『新約聖書』に記述されるキリスト教における一大エピソードであり、絵画や映画など多方面で描かれているため、知らない人はいないのではないだろうか。先のテレビの「最後の晩餐で食べたいもの」とは、その聖書の記述を前提としてはいるが、話のネタとして扱われており、もっと俗っぽく、つまるところ「食べ物の中で何が一番好きか。」と言った質問と同義で使用されていると思う。そうだった場合、僕は大好きでたくさん食べたいものを一つに絞ることができない。皆さんもそうではないだろうか。これはなかなか悩ましい問題である。以下では、「最後の晩餐」について自分が何を食べるかも含めて少し掘り下げながら考えてみたいと思う。

まず、共通の内容が多い「共観福音書」の中でも、「マタイ伝福音書」を参考に、「最後の晩餐」がどのような場面であるかを自分なりに理解しておこう。第26章2節には「2日後の過越祭の日に自分は磔刑にするために売られる」と弟子達に予言しており、イエスは2日前から自分が捕らえられることを知っていたのである。その後、17節以降に過越祭当日の弟子達との食事の様子が記述されており、26節には自分の体としてパンを27・28節では、血としてぶどう酒を弟子達に与えており、最低、このパンとぶどう酒は「最後の晩餐」の食卓に上がっていたことがわかる。続く29節では、イエスが「われ今より後、この葡萄の果より成るものを飲まじ」と宣言しており、ここでの晩餐が「最後」であることを強調している様子がわかる。47節以降にユダを連れだった当局が来て、イエスは捕らえられることとなる。ポイントは次の3つである。

①イエス達は少なくとも2日前には過越祭の日にイエスが捕らえられることを知っている。

②当日は少なくともパンとぶどう酒が食卓に上がった。

③最終的に予言通り捕らえられた。

まず、②について他の食べ物が記述されていないため、詳細はわからないが、イエスの体と血に擬えた主食(パン)とお酒であることや、除酵祭(パン種を入れないパンを食べる)の初日であることからも決められた内容の食事があり、それを食べているものと考えられる。決して自分の食べたいものを食べているのではないようだ。まあ、この辺は話のネタとしては決められていると元も子もなく、「最後」くらいは好きな物をと考えるのが人情なのかもしれない。次に①と③であるが、①2日後の食事が最後になること知っていて、③その通りになるということである。2節の予言には、朝昼晩(当時の食事の回数が3回であったのかも定かではないが)どの食事の時にことが起こるのか告げられていないが、イエスは間違いなくタイムリミットを把握していたのだと思う。

本題であるが、自分の「最後の晩餐」について。僕はもちろん神の子ではなく、どちらかと言えば、原罪にどっぷり浸かった迷える小羊に違いない。2日後の拘束(後、死)を知り、冷静に弟子達を諭しながら余裕を持って生活などできるはずがない。きっと2日間、欲望と絶望に振り回されるであろう。その場合の食事は「暴飲暴食」か「何も喉を通らない」のどちらかかと思う。前者の場合、寿司、焼肉、白飯と漬物、ラーメン、味噌煮込み、ハッピーターン、味しらべ、メロンソーダ等々、手当たり次第に食べまくる。2日後、ついに訪れる「最後の晩餐」の時。すでに食べ散らかした胃は弱り切っており、さっぱりとして軽い物を所望。「サラダうどんください。」。次に後者の場合である。心の弱い人間にとって死を予定された2日間は何も手につかず、ひたすら自分の運命を呪う。どうせ死ぬのに食べても仕方がないと悶々としながら箸が進まない。やってくる「最後の晩餐」。最後くらいはと思い、何か食べておこうと食事に向かうが、食べられない状況が続いたため、胃は弱り切っており、消化がよく、するすると楽に食べられるものがいい。「サラダうどんください。」。

「最後の晩餐」はそれ自体が、究極の状態である。ぶどう酒は苦手なため遠慮するが、サラダうどんでなくとも、質素にパンと水だけでもいいのかもしれない。テレビの放送ネタにあったように、僕は食べ物の中で一番好きなものがサラダうどんなわけでもない。嫌いではなく、むしろ好きなほうだが、ベスト10にはまず入らない。それでも考えてみると「サラダうどん」。奇跡のダークホースでありながら、納得の存在感である。「◯◯製麺」 、「◯◯うどん」の方、新メニューで『最後の晩餐風サラダうどん』なんていかがだろうか。

ちょっぴり贅沢に、胃に優しく、ワインに合いそうな味付けで。

【参考】

 『文語訳 新約聖書 詩篇付』2014 岩波書店

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